書籍 『ボディ&ソウルーある社会学者のボクシング・エスノグラフィー』を刊行しました
◆社会学者、ボクサーになる◆
『貧困という監獄』をはじめ、社会的排除と貧困のメカニズムを喝破した研究で世界的に知られる社会学者ロイック・ヴァカン。フランスからシカゴに渡り、都市研究を始めた若き日の彼が辿り着いたのが、寂れた黒人ゲットー地区でボクサーを目指す生活でした。言語化されない肉体的な実践であるボクシングの世界をいかにして記述できるのか。貧困の解明とともに始まったもう一つの挑戦は、自らの身体を道具として駆使する新たな社会学の試みとなり、ボクサーの日常感覚を味わい、胸を躍らせる傑作エスノグラフィーに結実しました。一人のボクサーになることの記録を通じて、社会の、そしてわれわれ人間の姿が見えてきます。著者はカリフォルニア大学教授。
行為を味わい痛みを知る【米国版への序文】
プロローグ
ストリートとリング
■秩序と美徳の孤島
■「ストリートに打ち克った少年たち」
■科学的で獰猛な実践
■スパーリングの社会的論理
■暗黙的かつ集合的な教授法
■身体資本の管理
スタジオ104での試合の夜
■「あんたは俺がしくじるんじゃないかって心配してる、
何でかって、自分がそうだったからさ」
■イリノイ州立ビルでの計量
■不安な午後
■スタジオ104へようこそ
■無様な前座試合
■ストロングがハナーを四ラウンドTKOで破る
■エキゾチック・ダンサーたちに主役の座を譲る
■「お前があと2勝したら、俺は酒を止めてやるよ」
〈ビジー〉ルーイー、ゴールデン・グローブに出場する
謝辞と記載事項についての注記
訳者解説
図版一覧 (xi)
索引・原注文献人名索引 406 (i)
装幀―気流舎図案室
本書は、Loic Wacquant, Body & Soul: Notebooks of an Apprentice Boxer(Oxford University Press, 2004)の全訳である。この本は二〇〇〇年にフランス語で刊行されたCorps et ame. Carnets ethnographiques d’un apprenti boxeur(Agone, Comeau & Nadeau)をヴァカンが英語版に編集したものである。これまでに英・仏語版を合わせて九つの言語で出版されている。英語版の公刊後にはQualitative Sociology(28巻2号、2005年)およびSymbolic Interaction(28巻3号、2005年)誌上で特集が組まれ、複数の書評論文とそれに対するヴァカンのリプライが掲載された。
ロイック・ヴァカンは、1960年生まれ、フランスのモンペリエ出身である。HEC(高等商業学校)入学後に産業経済学を専攻していたが、たまたま聴講したピエール・ブルデューの公開講義に触発され社会学を学び始めた。以降、ブルデューの講義に頻繁に通うようになり、講義後にはブルデューの自宅まで歩きながら熱心な議論をおこなう間柄となった。HEC卒業後に渡米し、シカゴ大学でウィリアム・ジュリアス・ウィルソンの指導の下で黒人ゲットーの調査研究を開始した。ウィルソンは日本でも『アメリカのアンダークラス』、『アメリカ大都市の貧困と差別』(共に明石書店)の著者として知られるが、その基になったシカゴ大学調査プロジェクト「都市貧困と家族生活をめぐる研究」の主要メンバーとしてヴァカンは活躍した。1994年に博士学位を取得し、現在はカリフォルニア大学バークレー校社会学部教授である。1997年にはマッカーサー・フェローに選出されるなど高い評価を得ている。昨今ではヨーロッパ、南米、アジアでの数々の学会やシンポジウムにスピーカーとして招聘されている。
ヴァカンの著作については、すでに3冊の邦訳が出ている。『貧困という監獄―グローバル化と刑罰国家の到来』(森千香子・菊池恵介訳、新曜社、2008年)、『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』(P・ブルデューとの共著、水島和則訳、藤原書店、2007年)、『国家の神秘―ブルデューと民主主義の政治』(編著、水島和則訳、藤原書店、2009年)である。ヴァカンは自らの研究を、①刑罰国家論、②人種支配をめぐる社会史、③社会理論、④身体の政治社会学、⑤都市周辺層の比較社会学、という五つのテーマに分けているが、既刊の邦訳書が①?③に該当するものだったのに対し、本書は④を扱った内容である。これまで国家論や社会理論の分野で日本に紹介されてきたヴァカンであるが、キャリア初期には本書で示されたような経験的なフィールドワークを遂行していた。この本では、身体育成工場としてのボクシングジムにおいて、固有の動作・思考・感情が身体化される過程を解剖しており、国家論やゲットー論は後景へと退いている。しかし、3年以上におよぶウッドローンでのボクサーとしての暮らしこそが、その後に多様な拡がりを見せる研究の血肉を成している点は、ヴァカン自身が語っている(The Body, the Ghetto and the Penal State, Qualitative Sociology 32-1, 2009)。ボクシングジムは、国家やゲットーについて論じる際の経験的足場を構成するものであった。この点で本書は、ヴァカンのあらゆる研究の土台を成す重要な著作であると言える。
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プロローグに記されているように、ヴァカンとボクシングの出会いは偶然から始まった。1988年8月、シカゴのゲットーの経験的調査を考えていたヴァカンは、友人に誘われてウッドローンのボクシングジムを訪れた。それまでゲットーに参入するための調査拠点を見つけ出せずにいたヴァカンは、すぐさま入会した。そこは、ゲットーへの探訪を可能にする窓口に思われた。
しかし、ヴァカンが日々のトレーニングに従事する中で思い知ったのは、ジムをゲットーへの窓口として、あるいはその縮図として捉えるのは誤りであるという点だった。なぜなら、ジムには固有の構造と機能があり、その点を捨象してゲットーの数ある制度のひとつとして捉えたのでは、その豊穣な世界に迫れないからである。かわりに、ヴァカンはジムの独自性がいかに生成しているのかをその日常から考察して行く。もちろん、ジムはゲットーという背景に準拠して成立しているため、ゲットーの社会経済分析は不可欠である。だが同時に、ジムの内部に独自の構造と機能を見据えた上で、ゲットーとジムの「共生と対抗という二重関係」(24頁)を論じるのである。
この点で、本書の第1部が「ストリートとリング」と名付けられているのは示唆的である。第1部の前半の「秩序と美徳の孤島」と「ストリートに打ち克った少年たち」では、ジムを取り巻くゲットーの荒廃とジム内部における安寧の雰囲気に基づいた社交の模様が対照的に描かれる。そこでの議論のポイントは、ストリートとリングの対抗関係である。その一方で、両者には共生の関係もある。暴力と犯罪の蔓延したストリートを生きるがゆえに、若者はそこからの一時的離脱を求めてジムに参入するからである。ストリートは若者をリングに送り込む動因を成している。ヴァカンはこうしてジムの置かれた社会的脈絡を、ストリートとリングの共生と対抗という二重性の中に見て取る。
それでは、いかにしてジム内の濃密な社交は生み出されるのか。この点を解読するには、ジムの中心的営為である練習について細かく分析する必要が出てくる。第1部の「科学的で獰猛な実践」から「身体資本の管理」までは、この点を探究したものである。そこでは、日々の練習を通じていかに人びとが「ボクサーになる」のかが読み解かれている。ボクシングに関する社会学分析は、これまで数は少ないものの重要な研究が提出されてきた。本書でも引用されているワインバーグとアロンドによるボクシングの職業文化研究やサグデンによるボクシングの文化政治学研究などである(Weinberg, S. & Around, H., The Occupational Culture of the Boxer, American Journal of Sociology 57-2, 1952; Sugden, J., The Exploitation of Disadvantage: The Occupational Sub-culture of the Boxer, In J. Horne, D. Jary & A. Tomlinson (Eds.), Sport, Leisure, and Social Relations, Routledge, 1987)。それらの研究で等閑視されてきたのは、ジムの日常それ自体である。ワインバーグらやサグデンは、ボクシングの社会学を試みる上で、ボクサーの生活背景に目を向けてきた。彼らの出身階層、学歴、主要な社会関係、地域社会の政治経済分析などを通して、ボクサーになる人びとが共通に体験してきた社会的不利を読み解き、そうした生活背景が人びとをボクシングに向かわせると論じてきた。だが、ヴァカンは、このような生活背景の注視は、分析の開始点であって、その結論ではないと言う。なぜなら、人は特定の生活背景があるからボクサーになるのではなく、ボクシングに伴う固有の性向をジムで身につけるがゆえに、その実践に深く入り込むからである。こう言ってよければ、ヴァカンは、従来のような「生活背景還元論」ではなく、ジムの日常を基点とし形成される「集合的性向論」の立場から、ボクシングの社会学をおこなったと言えよう。
ここまで見てきたように、本書はジムをゲットーからは相対的に自律した制度と捉えて分析をおこなっている。「ストリートとリング」はどちらか一方が他方を規定するといった類の関係性には無い。「ストリート」と「リング」の各々の編成論理を再構成した上で、その断絶と連続を丁寧に解読するのが、フィールドワーカーとしてのヴァカンの真骨頂である。
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本書の大きな特徴のひとつに、ヴァカン自らがボクシングのトレーニングをおこない、さらには伝統あるシカゴ・ゴールデングローブ大会に出場した点が挙げられる。ボクサーとしてリングに上った体験を持つ社会学者は、世界中を見渡しても片手で数えられる程度だろう。アメリカでもよほど珍しかったらしく、ニューヨーク・タイムズでは特集記事が組まれた(A Professor Who Refuses To Pull His Punches, New York Times, 2003年11月8日)。このような対象への没入は、ヴァカンにとって、いかなる意味で重要だったのだろうか。こうした姿勢は対象に深く入り込んだ研究として賞賛されがちである。しかしヴァカンは、単に深く入り込むためにボクサーになったのではない。そこで目指されたのは、よく言われるような「生きられた経験」を得るためではなく、「生きられた経験」をもたらす可能性の条件について理論的に思考することだった。
通常、社会学のフィールドワーク研究は、ひとつの事例地について論文を執筆した後は、別の事例に取り組むのが一般的である。ごくまれに同じ事例地を再訪する調査がおこなわれるが、それらの大半は以前の調査と再調査の結果を比較し事例地の変容を論ずることをねらいとする。しかし、本書で開示されているのは、それらとはまったく異なった調査実践である。ヴァカンは、3年間のボクサー生活のなかで幾度も論文を書いており、引退後も折に触れてジム仲間と会って聞き取り調査を繰り返し、論文を上梓してきた。そのねらいはボクサーの変容を調べることにはない。そうではなく、ボクシングジムを論じる際に暗に導入してきた自らと対象との気づかれざる関係を再度炙り出し、より適切な対象化の方法に基づいて事例を論じ直すことこそが探究されていた。ヴァカンが調査地を再訪するのは、「対象の変容」を知るためではなく「対象と自分の関係」を知り直すためである。それは、言い換えるなら、ブルデューの言う「対象化の対象化(objectification objectified)」としての社会学的認識を得るためである。
話がやや逸れるが、実はこの点こそが本書の翻訳を考えた理由であった。訳者3名はそれぞれがかなり長期に渡って同一事例地のフィールドワークをおこなってきた背景を持つ。田中は茨城県土浦市および東京都新宿区のスケートボーダーについて、倉島は京都市およびイギリス・マンチェスター市の武術教室について、石岡はフィリピン・マニラ首都圏のボクサーについて、5年から10年をかけて調査してきた。私たち3名がフィールドワークをおこなうなかで共通に体感してきたのは、異世界に赴くことやそこで長く時間を過ごすことがそれ自体では重要性を持たない点だった。かわりに、「現地の人びとの視点と感覚」と思い込んでいたものが大きな勘違いであることに多々直面するなかで、そうした勘違いは聞き取りの数を増やすことや参与観察の時間を倍にすることによってだけでは回避できない点に、何か重要なものを感じ取っていた。そこで問われるのは、深く入り込むことではなく、「対象と自分の関係」をめぐる認識枠組みを一変させた上で対象を論じ直す(より正確には「対象を構成する」)姿勢なのではないか。訳者3名は、それぞれのフィールドから経験則としてこの点を学んでいた。本書は「対象と自分の関係」の点検と刷新を織り込んだお手本のようなエスノグラフィだった。
このことが最も明示されているのが、本書の構成である。第1部は1989年、第2部は1993年、第3部は1991年に初稿が書かれた。本書はそれらの初稿に大幅な修正が加えられることなく出来上がっている。ヴァカンは「初期の記述を完全に書き換えたいという誘惑」(9頁)を抱いていた。にもかかわらず、あえて修正をしなかったのは、それぞれの部でヴァカンと対象(=ボクシングジム)の関係が異なっており、その異なりを1冊の中に軌跡として残しておくためである。第1部は見習いボクサーとして活動中の時点で執筆したものであり、よそ者の視点が色濃く残っている。第2部はジムに馴染みボクサー仲間の試合に帯同するまでになった時点のもので、記述の様式も日記の色合いが強い。第3部は試合に出場した体験記となっている。このように、第1部から第3部へと読み進めるうちに、読者は「ボクサーになる」過程を追体験できるように配慮されている。と同時に、見習いボクサー時点で書いた社会記述と試合経験を持つボクサー時点で書いたそれでは、ヴァカンと対象との関係が変化しているため、ボクシング世界の見え方が異なっている。ヴァカンは本書を執筆するにあたり、その異なりを改めることによって統一感のある書き物へと仕上げるのではなく、それをそのまま残しておくことで、客観性を装う社会記述がいかに分析者と対象との気づかれざる関係に規定されているかを示したのである。よって、第1部から第3部までには、素人が一人前のボクサーになる過程と共に、分析者と対象の関係史が明るみに出されていると言えよう。
このようにヴァカンにとって、自らボクサーになること、さらには調査地を再訪することは、社会分析の隠れた枠組みを成す分析者と対象の関係史を抉り出すという理論的プロジェクトでもあった。「生きられた経験」は、それが上記の関係史に自覚的でない限り、誤謬にすぎない。本書は「生きられた経験」をもたらす可能性の条件としての分析者と対象の関係史を、具体的なフィールド記述に即して照らし出したものである。 以上の点は、ヴァカンが2002年にAmerican Journal of Sociology誌に発表したScrutinizing the Street: Poverty, Morality, and the Pitfalls of Urban Ethnographyという論文とも関係する(107巻6号)。この論文はシカゴ学派の系譜を引くエスノグラファーたちを痛烈に批判したものだった。かれらは「貧困」や「反社会的行為」をテーマとしながらも、エスノグラフィを記述するにあたって暗に準拠している認識枠組みに無自覚なため、自らが説明すると謳っている現象を分析するのではなく、その現象の一部を構成してしまっていると、ヴァカンは指摘した。すなわち、「貧困」を対象化するはずの社会学者が、「貧困」をめぐる臆見の再生産に手を貸していると主張したのである。これに対し、批判された側のひとりであるイライジャ・アンダーソンは、ヴァカンの指摘がブルデュー信者によるイデオロギー的なもので、そのような理論志向的態度ではストリートの現状には分け入ることができないと反批判した(Anderson, E., The Ideologically Driven Critique, American Journal of Sociology 107-6, 2002)。本書はアンダーソンらの反批判に対して、ヴァカンが分析者と対象の関係史を開示するエスノグラフィを上梓することで、自らの主張の根拠を呈示したものでもある。
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本書の翻訳を開始したのは、訳者のひとりである田中がカリフォルニア大学にヴァカンを指導教員として留学することが決まった2005年のことである。田中のほかに、身体の社会学研究を専門とする倉島、ボクシングの調査研究を遂行していた石岡が訳出作業に加わった。3名とも各々の研究の一環でヴァカンの論文を読み進めていた経緯もあり、翻訳は順調に進むかと思われた。しかし本書の英語表現がかなり難解な上に、田中はアメリカ、倉島はイギリス、石岡はフィリピンで、それぞれの調査研究を進めていたこともあり、下訳の完成までに約2年かかった。そこから訳文完成までにはさらに膨大な時間を要し、結局翻訳開始から刊行まで7年もかかってしまった。
翻訳にあたっては、序文・プロローグ・第1部の始めから「科学的で獰猛な実践」までを田中、第1部「スパーリングの社会的論理」から第1部の終わりまで・第3部・図版一覧・謝辞を倉島、第2部を石岡が担当した。その後、相互に訳文の確認作業をおこない、最終的に田中が手を加え、訳語などの統一を図った。この間、著者のロイック・ヴァカンは、内容をめぐる質問に丁寧に答えてくれたほか、訳文作成に格闘する私たちを励ましてくれた。ヴァカンの著作を翻訳というかたちで日本に紹介してこられた水島和則さん(椙山女学園大学)と森千香子さん(一橋大学)は、進捗状況をいつも気にかけてくださり、訳出をめぐる相談にも乗っていただいた。新曜社の小林みのりさん(当時)には、本書の企画立案から訳出作業の叱咤激励、さらには訳文のチェックとお世話になった。その後、担当が代わってからは、髙橋直樹さんに、訳稿の最終確認やゲラ修正、索引の作成など、手間のかかる作業を進めていただいた。これらの方々に心からお礼を申し上げたい。
2012年11月
訳者一同